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講のネットワーク

浄土真宗は蓮如以来、「講」と呼ばれる組織のネットワークを持っていた。三百年間、「隠れ念仏」の信仰が地下で続けられた背景にはこの講の組織があった。講は「番役」というリーダーを中心に、身分の区別なく組織され、「取次役」を通じて本山の本願寺と繋がっていた。
浄土真宗門徒はこのような講の組織を背景に、山中の洞穴などで法座といわれる集会を開いた。このような洞穴は戦後になって隠れ念仏洞と呼ばれるようになった。また抜け参りといって、藩境を超えて信仰の許されている藩の真宗寺院に参詣することも行われた。熊本県水俣市にある浄土真宗本願寺派源光寺には、薩摩部屋というものが残されている。これは薩摩から密出国した一向宗門徒が、世間の目に触れないように身を隠した場所なのであるという。
隠れキリシタンが「マリア観音」などの信仰の偽装を行ったことは知られているが、隠れ念仏もさまざまな偽装をほどこして信仰を守った。浄土真宗の信仰の証拠となる阿弥陀如来立像や、親鸞聖人の御影(肖像)、六字名号(南無阿弥陀仏)などは隠して守らなくてはならなかった。その偽装には傘仏(傘の形の桐材の容器に親鸞の御影の掛け軸を収めた)やまな板仏(まな板に似せた蓋つきの薄い木箱に本尊の掛け軸を納めた)などがあった。

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川辺地方では、見かけは箪笥で扉を開くと金色さんぜんとした、隠し仏壇が作られた(東本願寺鹿児島別院に保存)。鹿児島では洞窟のことをガマと言い、今でも川辺仏壇のガマ型にはその「隠し仏壇」の要素が色濃く残っていると言われる。 

またいわゆるカヤカベ教のように、弾圧の中で本願寺とのつながりを絶ち、神道や修験道と習合して独自の道を歩む門徒もいた。
南九州の一向宗門徒は北陸の門徒のように「一揆」という形での抵抗は行わなかった。その代わり、土地を捨てて集団で逃げる「逃散(ちょうさん)」あるいは「欠落(かけおち)」ということが行われた。逃散は各地で単に生活苦から逃れるためにも行われたが、薩摩では念仏信仰を守るために念仏信仰が許されている隣接諸藩に逃亡する目的であった。

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2009年12月17日 11:05に投稿されたエントリーのページです。

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